ひとみママの子育て日記

庶民でありながら娘に豊かな人生を送ってほしいという思いでブログ発信しております。

添削しない作文は意味あるのか?

添削しない作文は意味あるのか?


愚痴になります。苦手な方はスルーでお願いします(笑

 

ひとみ・・・小4


学校の宿題で作文が出ました。


できたというので見てみると


タイトル

「最近あったうれしかったこと」


内容

「家のお菓子がなくなってがっかりしていたが
ママが買ってきてくれてうれしかった。。と、、、」


私の中で怒りと失望が同時に沸き上がりました、


内容が非常にどうでもよいということ、
誤字脱字がひどいこと、

そして何よりさっさと終わらせて
YouTubeを早く見たいという気持ちが
この作文からヒシヒシと伝わってくるということ


「ねえ、ひとみ、この作文ちょっとひどすぎない?」


聞けばこの作文と同時に大量の算数の計算問題も出て
作文を書くころには疲れていたとのこと、


作文って時間かかりますよね。

内容を決めて
書く順番を決めて
指定された文字数に合うように調整する


これを大量の算数の計算問題のあとにやった。


つまり、ひとみは思考がもう停止して
この内容の作文しか書けなかったようです。


作文って自分の考えや思いをまとめて
文章にします。

社会に出てからも非常に役立ちます。
学校側も大事だということはわかっているようですが
大量の計算問題と一緒に作文の宿題を出すと
いうことに疑問を感じないのでしょうか?


これは、うちの子だけじゃなく
他のお子さんも適当な作文になっているのでは
ないでしょうか?

 

私は作文というものは
じっくり考えて丁寧に取り組んでほしいと
考えています。

夏休みの宿題の絵日記や読書感想文は
取り組みの日を決めて
その日は他の勉強は一切しません。

それくらい思考力を使います。


週末の宿題にするならまだわかりますが
平日の16時に帰宅する生徒に出す
宿題の量とは思えません。


作文がやっつけになるのは仕方がありません。


しかも学校側は作文の添削はしてくれないんですよね。


これに関してはお子さん4人を東大に入れた
佐藤ママも指摘していました。


この作文の宿題に意味はあるのか?と思ってしまいました。